ブログなぞはじめるにあたり
このブログのタイトル”鋼の教えと闇を司る魔”というのは、オウガバトルシリーズのオープニングで示される言葉の一部だ。
全文を引用すると
”古の昔
力こそがすべてであり
鋼の教えと闇を司る魔が支配する
ゼテギネアと呼ばれる時代があった”
…こんな感じだ。
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自分がオウガバトルを初めて知ったのは、デパートのゲーム売り場のポスターだった。
そのポスターは当時のゲームとしてはひどく変わっていた。ゲームの画面は右下に2枚だけ、全面に剣を手に取った男女とはためく大きな旗が繊細な線で描かれているものだった。
自分はこのポスターにくぎ付けになった。20分以上は眺め、小さな写真から少しでも情報を得ようと考え続けた。
実際にそのゲーム…タクティクスオウガを手に入れたのは、発売から半年以上たった初夏のころだった。確か高校に入学し、ちょっとだけ増えた小遣いをやりくりして手に入れたはずだ。
初めてのオウガは難しかった。それまで「クリアさせてくれる」ゲームしか遊んだことのなかった子供に対して、容赦なく難しい課題を与え続けた。それでも美しい画面と、ヒリヒリするような話の先が見たくて、コントローラを握り続けた。
初めてのチャレンジは3章半ばで行き詰った。傭兵を雇い、死体の山を築き上げながら(34人だった)進んだ軍は兵糧…活動資金が完全に尽き、進むも戻るもできなくなったのだ。
どうすれば進めるのか?勝てるのか?その時は全くわからなかった。わからないまま、しばらくの間ゲームから離れることになる。
もう一度オウガを手に取ったのは2年後、受験を控え時間を自由に使えるようになった時だ。
2年の間に少しずつ成長していたんだろう。ゲームをゲームらしく遊べるようになっていた。
瞬間瞬間で何を求められているのか、何が答えなのかを確認しながら進めていく。当時、オウガの攻略本はかなり情報が限られており、あるラインからは手探りで進める必要があった。
楽しかった。
コントローラを握っているとき以外にも、電車に乗っているとき、授業を受けているとき、友人と話しているとき、フとした瞬間にゲームがフラッシュバックし「こうすればうまく進めるんじゃないか⁉」と考えが巡る。
帰ったらその考えが実行できるか検討する。成功すれば新たな戦術として組込み、失敗すればどうすればうまくいくかブラッシュアップする。
この瞬間、初めてゲームに本気になれた。
自分の指が、頭が、体が、ヴァレリア島と混然と一体となり、ゲームと、ゲームを作った人たちと対話するように進めていった。
ウォーレンが姿を消し、デニムがそっと城を抜け出し、エンディングテロップが流れる様をしびれる頭で眺めていたのを覚えている。
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これが自分の最高の体験だ。
あれから20年、ゲームも遊び、ほかの趣味も幅が広がった。
しかし、今後これほどの経験があるだろうか?
本気が降りてくる瞬間はどれぐらいあるんだろう?
わからないままに、気ままに”本気”が垣間見える何かを探し続けていきたいと思う。