鋼の教えと 闇を司る魔

日記と映画メモ

マーベル映画のひと段落

アベンジャーズ/エンドゲームを見終わった。
3時間と非常に長い映画だったが、全編をとおしてダレさせることなく、不思議な緊張感が包んでいた。
それは、10年近く続いてきた一連のシリーズが、どのように終わるか。言ってしまえば、長く見守ってきたヒーローが、どのような最後を迎えるのかを恐る恐る確認する作業だった。

 

結果、アイアンマン/トニー・スタークはこの世を去り、キャプテンアメリカ/スティーブ・ロジャースはヒーローを引退する道を選ぶことができ、ソーは新たな旅に出ることになった。
(正確には、ソーはまだ終わりを迎えていない。が、主役としての役割はすべて終えている)

 

正直、ヒーロー映画で心を動かされるとは思ってもみなかった。それも、ヒーロー達がいなくなることによって、だ。
今までの映画としてならば、”シリーズ続編を作らない”ことで彼らをスクリーンの中に永遠にとどめることもできたはずだ。しかし、マーベル映画は映画ごとの世界をつなげ、つながりにより世界を広大に、複雑にし、”生きている”ものとしてきた。
ならばこそ、彼らの最後を描かなければならなかった。だからこそ、ひとつの伝説を作り上げることができた。

 

そう。彼らは物語を経て神話になった。
映画で神話を見たのは、ロードオブザリング/ホビット以来だ。こちらは原典があるが、マーベル映画にはない。先が見えない話に翻弄された。

 

最初のアイアンマンには、本気さと何かが変わる予感があった。
そこから10年、マーベル映画に引きずられるようにエンタメ映画も変わってきた。
それと一緒に、現実の世界もすこしずつ変わるといいな…と思っている。あんな技術が現実になれば、合理的な考え方が広まれば、人を助ける優しさがあれば。

 

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さて、チーズバーガーを食べてこよう。
アメリカのにゃ追いつけないだろうけど、彼の愛した味には違いない。