MSC2019に投票した話
MSC(Mad Survival Championship)という、ニコニコ動画でのイベントごとがある。
1. MAD動画を見て 2. 投票すると 3. 投票上位者がトーナメント式で勝ち上がっていく…という、わかりやすいイベントだ。
詳しくはこちら。
https://www.nicovideo.jp/series/50892
これがまた、とんでもなく面白い。
なんでかというと、予選(15秒) → 準決(30秒) →決勝(1分)と、先に進むたびにそれぞれの動画の見れる時間が増えていくからだ。
え?それで面白いの?と思ったら、試しに上のリンク先の動画を見比べてみるのをオススメする。15秒が存外長く感じたり、30秒に増えた時のイメージの変わり方に驚かされるものがあるだろう。
で、重要なのは ”投票で先が見れるかが決まる” こと。投票上位作品が準決/決勝へと進んでいく。
自分が続きをみたい!と思っても、他の人とズレているとその願いはかなわない。
短い時間(とランダムな上映順)のなかで、見る側がどんな受け取り方をするかを試されるイベントでもあるのだろう。
今回の作品も、どれもこれも作った方の思いがガッツリこもっていて楽しい。
こんな楽しいことを考えて、形にすることができるなんて、なんてすごい(羨ましい)んだろう…と。ニコマスって本当に面白い。
さて、準決の投票と、敗者復活の投票までは終えた。
今週末発表の決勝ではどうなるんだろう。楽しみで楽しみで、待ち遠しい。
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今回の自分の投票履歴などメモ。
個人的なイチオシは予選A-6…だけど、これが何かわかるのは世界に何人いるんだよ⁉という怪作。
使われているBGMはコレ(LA-MULANA2のOP/Lumisa's Theme)
LA-MULANA2 Switch / PS4 / Xbox One ローンチトレーラー
で、ミリオンの衛星ステーション=アヌンナキのニビルに見立てて、架空戦記系PVがはじまるんでしょ!?
そんなの絶対続きみたいに決まってるじゃん!
というわけで、敗者復活はA-6に。
以下、予選での投票履歴
予選A-B
A-6:ラムラーナ枠、A-1のりあむと悩んでこちらに
B-3:ドール枠、D/Zealにも千早にも弱い
予選C-D
C-2:C-1/千早と悩んでの投票。Side-M枠みたいんや…
D-2:絵柄が好き…こうみると、手書きのインパクトって強い
予選E-F
E-4:手書きのインパ(略 U149と雑妙にマッチしている
F-5:DS?絵里?と悩みつつ
予選G-H
G-2:胸元にナイフを突きつけてくるような、ドス黒い系の大好き。だからまゆが好き
H-6:なんとなくオチが見えるけど、ノベマスにゃ弱いんですよ
I-6:複数悩んだ結果、いちばん”MSC向け”に攻めた-6に
J-4:画面のつくり、というのか?ハイスピードで黒くてピカピカしてるのに弱い
予選K/L/M
K-2:2次元モノに3次元モノが乗って、境界線があやふやになっているの大好きです
L-2:冬優子の”イイところ”がギッシリ詰まっていて、ゾクゾクする
M-1:悩んだ結果、どこに落ち着くのか見えなかった1本に
予選は以上。準決は後日。
ゴースト・イン・ザ・シェルを見てきた話
かなり昔に書いたままだったものを、サルベージした。
自分の文をあとから読み返すと、そこそこ面白いことを考えてるんだなー、と感心する。
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ゴースト・イン・ザ・シェル…いわゆる、実写版攻殻機動隊を見てきた。
この映画は、初見の人には面白く、今までの攻殻機動隊のどれか(マンガなり、映像なり、ゲームなり)を見た人には違和感はあるものの面白く、押井ファンは怒るだろう…という感想。
自分?自分はヒネた押井好き(いいところはいいけれども、ダメなところはダメ)なんで、苦笑いしながら見ていましたよ。
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今までの”攻殻”にある、政治劇や近未来アクションなんかを求めてくると肩透かしに終わる。正直そういうのを期待した人にはつまらないだろう。
なぜなら、この映画は「押井版の映画攻殻2作が大好きな監督」が「各シーンをパッチワークして作り上げた」トンチキな映画だからだ。
押井がインタビューで”ゴージャスだけど奇妙な映画”と評していて、なんのこっちゃ?と思っていたが、見終わった後では非常に納得できる。上映前の映画を批判しないよう、上手い言い回しで逃げた感じだ。
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かといって、退屈な映画じゃない。何も知らない状態で、裏を考えずに見る…つまり攻殻シリーズを初めて見るにはむしろ面白い。
なぜかと言えば、ストーリーラインが非常に追いやすくわかりやすいこと。特に主人公である”少佐”に感情移入できるように、話が整理されている。
また、映画の一番最初に”ゴースト”の存在をわかりやすいものに置き換えたため、最後の決断が原作(アニメ映画版のほうね)から大きく外れて「人形使いの誘いを断って現世に残る」ものであっても納得のいくからだ。これを評して、押井は同インタビューで”でも(映画としての)ゴーストがある”と語ったんだろう。つまり、最後の最後で、この映画が監督の手の中にあることを示しているわけだ。
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ただ、だからこそエンドロール中に”謡”をかけるのはどーよ?と思ってしまう。
この曲、イノセンスの冒頭、擬体がひとつの命として作られる過程でかかる曲として印象が強い。
現世に残ったのに、なんでここに入れちゃったんだろうなぁ…
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このネタをまとめなおすために、吹替え版で見直してみた。
なんか声がもったいないなぁ、という印象を受けたということは、画面側が負けてるんだろうなぁ。
あと、桃井かおりの英語が流暢でわかりやすいのに驚いた。これぐらいしゃべれるように精進したい。
マーベル映画のひと段落
アベンジャーズ/エンドゲームを見終わった。
3時間と非常に長い映画だったが、全編をとおしてダレさせることなく、不思議な緊張感が包んでいた。
それは、10年近く続いてきた一連のシリーズが、どのように終わるか。言ってしまえば、長く見守ってきたヒーローが、どのような最後を迎えるのかを恐る恐る確認する作業だった。
結果、アイアンマン/トニー・スタークはこの世を去り、キャプテンアメリカ/スティーブ・ロジャースはヒーローを引退する道を選ぶことができ、ソーは新たな旅に出ることになった。
(正確には、ソーはまだ終わりを迎えていない。が、主役としての役割はすべて終えている)
正直、ヒーロー映画で心を動かされるとは思ってもみなかった。それも、ヒーロー達がいなくなることによって、だ。
今までの映画としてならば、”シリーズ続編を作らない”ことで彼らをスクリーンの中に永遠にとどめることもできたはずだ。しかし、マーベル映画は映画ごとの世界をつなげ、つながりにより世界を広大に、複雑にし、”生きている”ものとしてきた。
ならばこそ、彼らの最後を描かなければならなかった。だからこそ、ひとつの伝説を作り上げることができた。
そう。彼らは物語を経て神話になった。
映画で神話を見たのは、ロードオブザリング/ホビット以来だ。こちらは原典があるが、マーベル映画にはない。先が見えない話に翻弄された。
最初のアイアンマンには、本気さと何かが変わる予感があった。
そこから10年、マーベル映画に引きずられるようにエンタメ映画も変わってきた。
それと一緒に、現実の世界もすこしずつ変わるといいな…と思っている。あんな技術が現実になれば、合理的な考え方が広まれば、人を助ける優しさがあれば。
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さて、チーズバーガーを食べてこよう。
アメリカのにゃ追いつけないだろうけど、彼の愛した味には違いない。
CINDERELLA GIRLS TRIBUTE Ⅰ を読んだ話
冬コミで手に入れた同人誌、CINDERELLA GIRLS TRIBUTEが面白すぎたので、感想をメモする。
…といっても、1巻がでたのは2017年の夏コミ。冬コミでは2巻が新たに頒布されている。1巻未入手だったため、まずはこちらから…と読んでみたら、まぁこれが面白いこと。なので、2巻を読む前に1巻の感想からまとめることにした。
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1. Only one life.Just one life/吉上 亮
シンデレラ3人目のロックアイドル、松永涼の話。
タイトルは涼の歌”One Life”の歌詞から。ゲーム内の断片的な情報から、友人との関わり、ロックとの関りを中心に、松永涼というひとりのアイドルがどんな人物かを丁寧に構成し書き上げられている。特に、先行してロックアイドルとして登場している多田李衣菜、木村夏樹との絡みは絶品。親友である白坂小梅との距離感もたまらない。
涼が”One Life”を手に入れたのが3月、ライブで初披露されたのが5月、この本が書かれたのが8月前…と時系列を追うと…あぁ、夏にこの話を読みたかった!
余談だが、作中で登場する渋谷のライブハウスはShibuya O-ESTだろう。過去に765プロが実際にライブを行った場所でもある。あの時の、あの場所の熱気を知っているとライブシーンの思い入れも深い。(本当にラブホ街のド真ん中で、カップルやらに迷惑かけたなぁ…)
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2. エスパーアイドルの消失/伏見 完
堀裕子…ユッコの”力”をめぐる話。
シンデレラのアイドルは、皆”一芸”ともいえるフックとなる魅力を持ち備えている。ユッコの場合、それは”エスパーである”ということだ。…それも、自称の。
ゲーム内ではネタ的に扱われているが、この話では「もし本当にエスパーだったら?」を軸に、彼女の魅力を書き出している。特にオーディションでのエピソードは思わず笑ってしまうが、同時に深くうなずける。彼女はひたむきで優しく、そして周りをグッと引き込む力を持っていることを再確認できる。
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3. フィルナスの星/柴田 勝家
成宮由愛のデビューをめぐる話。
3作中最大の問題作。書き出しから「僕が最後にアイドルというものを見たのはいつだったか。少なくとも、それはまだ東京に核爆弾が落ちる前のことだったはずだ。」ではじまり、その後に語られる主人公は退役した遠隔操縦機のパイロットという現実離れした設定だ。
…しかし、読み進めるとこの話がキワモノではないことがわかる。これは、自分を失った男と、自分をまだ知らないアイドル候補の女の子の話だ。フィルナスの星、室内でしか輝くことのできなかった星を、新たに大きく輝くひとつの星としてデビューに導く様を描く。
正味、日本が崩壊した…という設定がどこまで効いているのか難しいが、幻想的なラストシーンはこの世界でなければ描かれなかっただろう。
プロデューサーである読み手には、特にザックリと刺さる…いや、卑怯だよコレ。
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どの作品も強烈に面白い。そして間違いなくシンデレラの、アイドルマスターの話だった。
今のところ同人誌の形でしか入手できないので少し難しいが、機会があればぜひ読んでほしい。自分はオススメできるよう、次の夏コミで(もしあれば)もう1セット手に入れるつもりだ。
さぁ、つづいて2巻を読むぞ。次も楽しみだ。
ひるね姫を見てきた話
映画、ひるね姫~知らないワタシの物語~を見てきた。
作品についての情報はほとんど知らないまま(トレイラーを何本か見た程度)、神山健治監督がリブートしたという話だけで見に行くことを決めた。
見終わった感想としては「なんかしらん好き」「肩の力を抜いて最後まで見れる」という、今までの神山作品とは若干方向性の違うものだった。このシーンがいい!この絵がいい!とピックアップできるものではなく、全体的にふんわりと空気の良さが漂っていた。
途中いくつかの箇所で神山節と言うのか、独特の目くばせ(自宅に帰る、の”自宅”の意味とか)や間の取り方、光の使い方があったが、全体の間は非常に穏やかなまま最後まで走り続けた。だが、その中心には主人公であるココネと友人であるモリオ、そして父親と祖父、気づかなかった母親…いわゆる家族との関係が示されている。
そしてエンディングで流れる、デイドリーム・ビリーバーと過去の父と母の話…いやもう、映画本編のラストで若干目が潤んでいたのに、ラストで不意打ち受けたうえにその後何があったのかを察してしまい、大の大人がボロボロ泣いてしまった。
(偶然友人がそばにいたので、見られないようダッシュで逃げた)
ヘビーローテーションで、すぐに何度も見返そう、という作品ではない。
そういう意味では今向きの映画ではないのかもしれない。でも、ふとした時に、例えば自分ひとりでは抱えられないダメージを負った時に、なんとなく見返したくなる、楔を打つような作品だ。
次回作にどんな方向につながるんだろう…と楽しみにしている。
いやぁ、楽しい映画だった。
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というかね、前作の009(Re:Cyborg)が終わった後、帰ってこれるのか他人事ながらスゲェ心配で。
シンゴジのエンドロールの企画協力に名前が載っていたのを見ただけで嬉しかったし、新作映画を作ると聞いただけで安心した。シンゴジではシナリオ初期案…大枠まとめまで関わっていたらしい。都市の破壊、政治と米国とのしがらみ、ラストの〆方あたり、見ながらすげぇ”神山っぽさ”を感じたので、エンドで名前が出たときに思わず声が出たし、若干泣いた。本編で泣かなかったのに。
本当に、次にどんな話が見れるのか。楽しみでしょうがない。
ブログなぞはじめるにあたり
このブログのタイトル”鋼の教えと闇を司る魔”というのは、オウガバトルシリーズのオープニングで示される言葉の一部だ。
全文を引用すると
”古の昔
力こそがすべてであり
鋼の教えと闇を司る魔が支配する
ゼテギネアと呼ばれる時代があった”
…こんな感じだ。
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自分がオウガバトルを初めて知ったのは、デパートのゲーム売り場のポスターだった。
そのポスターは当時のゲームとしてはひどく変わっていた。ゲームの画面は右下に2枚だけ、全面に剣を手に取った男女とはためく大きな旗が繊細な線で描かれているものだった。
自分はこのポスターにくぎ付けになった。20分以上は眺め、小さな写真から少しでも情報を得ようと考え続けた。
実際にそのゲーム…タクティクスオウガを手に入れたのは、発売から半年以上たった初夏のころだった。確か高校に入学し、ちょっとだけ増えた小遣いをやりくりして手に入れたはずだ。
初めてのオウガは難しかった。それまで「クリアさせてくれる」ゲームしか遊んだことのなかった子供に対して、容赦なく難しい課題を与え続けた。それでも美しい画面と、ヒリヒリするような話の先が見たくて、コントローラを握り続けた。
初めてのチャレンジは3章半ばで行き詰った。傭兵を雇い、死体の山を築き上げながら(34人だった)進んだ軍は兵糧…活動資金が完全に尽き、進むも戻るもできなくなったのだ。
どうすれば進めるのか?勝てるのか?その時は全くわからなかった。わからないまま、しばらくの間ゲームから離れることになる。
もう一度オウガを手に取ったのは2年後、受験を控え時間を自由に使えるようになった時だ。
2年の間に少しずつ成長していたんだろう。ゲームをゲームらしく遊べるようになっていた。
瞬間瞬間で何を求められているのか、何が答えなのかを確認しながら進めていく。当時、オウガの攻略本はかなり情報が限られており、あるラインからは手探りで進める必要があった。
楽しかった。
コントローラを握っているとき以外にも、電車に乗っているとき、授業を受けているとき、友人と話しているとき、フとした瞬間にゲームがフラッシュバックし「こうすればうまく進めるんじゃないか⁉」と考えが巡る。
帰ったらその考えが実行できるか検討する。成功すれば新たな戦術として組込み、失敗すればどうすればうまくいくかブラッシュアップする。
この瞬間、初めてゲームに本気になれた。
自分の指が、頭が、体が、ヴァレリア島と混然と一体となり、ゲームと、ゲームを作った人たちと対話するように進めていった。
ウォーレンが姿を消し、デニムがそっと城を抜け出し、エンディングテロップが流れる様をしびれる頭で眺めていたのを覚えている。
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これが自分の最高の体験だ。
あれから20年、ゲームも遊び、ほかの趣味も幅が広がった。
しかし、今後これほどの経験があるだろうか?
本気が降りてくる瞬間はどれぐらいあるんだろう?
わからないままに、気ままに”本気”が垣間見える何かを探し続けていきたいと思う。