鋼の教えと 闇を司る魔

日記と映画メモ

アイの歌声を聴かせてを観てきた話

なんとなくツイッターで流れてきて、タイミングがあったので映画館で観てきた。

こんなお話。

 

ainouta.jp

 

しかし、自分は理屈でものを考えるので、感情がどうのという話には縁遠い。
なので、この話のキモであるシオンのもたらすいいお話については触れづらい。

 

自分がいいな、と感じたのは開幕。
AI管理がすすんで、昭和のたたずまいの家にもAIコントロールが普及している未来のお話を描いている。
朝のアラームと同時に、カーテンを開ける、窓をあける、電気をつけるなどのケアから、朝食の準備のサポートもあり、家のロックも管理している。
この光景を実際に見ることができるのは、5年後ぐらいだろうか。
早く現実になるといいなー、と思うのと同時に、こうやって映像化されると意識が共有できる…つまり、「AI管理が導入されるとどうなるのか?」というイメージが現実と地続きになる。
このこんな風になるといいな、という感覚から現実につながる可能性が示される空間が、たまらなく心地よかった。

さて、この話はAIであるシオンと、人間の関係が話の中心に据えられている。
つまり、人間型のボディを手に入れたAIが、人間とコミュニケーションをとることで人間側の認識を変えていく。
じゃあ、AIが人間型でなければ、人間は認識を変えないのだろうか?
序盤で高校生徒にイジめられる掃除ロボットがでてくるが、このロボットとシオンが同じものという認識を持てる人間がどのぐらいいるんだろう?

 

もうひとつ。
今回のAIは”いい人”…つまり、人間のミカタをしてくれる存在だった。
じゃあ、真逆に。人間に害をなすものとして存在した場合、そのAIをひとつの存在として認めるのだろうか?
(認める、という言い方自体が人間のほうが上。造ったものという考えでヤだけどね)

 

エンディングテロップを眺めながら、そんなトゲがチクチクと気になってしかたなかった。

 

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余談。
田植えロボットが働く試験場の看板が、佐渡島のトキに対する注意書きそっくりだなー、と考えながら見ていたら、本当に佐渡島で笑ってしまった。
パンフの取材協力をみるに、佐渡島と埼玉の混合のようで。
技術テスト的にも、田舎のほうがサックリ変えられるのかもなぁ…

 

もうひとつ。
AIの”シオン”の名前はどこまで意識されたものなんだろう。
失われた故郷に帰る…とか考えはじめたけれども、劇中にはなにもつながりはないし陰謀論レベルの与太かな。